2011年5月 9日
「さぁ向かって来い!火龍 どんな悲しみも困難も 微笑みで躱してみせる!」
『東日本大震災に寄せて』
天波博文
映像で見ただけでは感じられない
被災されたさまざまな人の思いが
電気を源流とするライフラインの
復興に合わせ聞こえて来ます。
悲しみの深さや
その悲しみを乗り越え様とする
ギリギリの淵に立つ勇気が
ボクの中でレクイエムを奏でます。
その一方で公共事業の名に隠れ
放射能の黒い雨に身を曝さず
冨と権力を必死に守ろうとしている
事業家たちに怒りが湧いて来ます。
電気の消費を拡大させる為に
全国にペットボトル入りの自販機を
蜘蛛の巣の様に張り巡らせ
世間には電力不足だと脅かす。
日本で現在運転中の原発は
五十五基(着工準備中十一基)
今後もまだ私欲の為に原発事業を
推進させ様とする
電気事業団を初め経団連や
不甲斐ない政治家たちに
本当に腹が立ちます。
そして それを知りながら
頻繁ではないにしろ
ペットボトル飲料を買ってしまう
ボクに自己嫌悪を感じています。
今はただ ここ熊本の地より
「お静まり~お静まり~。」と
龍神様をなだめながら
棚畠を耕すことで
被災者への祈りとさせて頂いてます。
無条件降伏の敗戦国であり
世界最初の被爆国である日本が
その戒めを忘れ原発を作り
便利さと過ぎた豊かさの上に
あぐらをかいていた代償が
今回の「水の災害」と呼ぶべき
東日本大地震ではないでしょうか。
地震だけならまだしも
大津波によって
尊い多くの命が奪われ
その津波によって
原発での水素爆発が起こり
目に見えない悪魔によって
子供たちの健康を
強いては将来の命をも脅かす
事態を招いてしまったのです。
それだけでありません。
負の連鎖は買い占めによる
救援物資の不足や燃料不足
更には水道水の放射能汚染と
都会を大混乱に貶め
最悪の事態まで拡散しています。
また震災一週間後には
満足な議論もせずに国連が
リビアに介入すると議決
戦争まで始まってしまいました。
今回の大惨事にボクは
何度涙したか解りません。
海に向かいご主人の名を叫ぶ
婦人を見ては悔し泣きし
がれき化した家の前に立ち
自らに負けまいと笑顔を作る
若夫婦を見てはもらい泣きし
家族のため日本を守るために
放射能のまっただ中に飛び込む
男たちを見る度に
苦い涙がにじみ出ました。
また世界中が日々支援の手を
続々と差し伸べてくれることに
心から感謝し涙を流しました。
涙腺の弱いボクは
羽根を折ってしまった鳥の様に
その場から飛び立つことが出来ず
ただ泣くことで傷ついた心を
忘れ様としていたのです。
頭の中が地震で一杯になり
グチャグチャになっていたボクに
今やるべきことを教えてくれたのは
震災後六日が経過した
三月十七日の木曜でした。
木曜日は二十三年間続けて来た
どれみ村の野菜BOXの出荷日。
朝七時にセットしたタイマーが
布団に潜っているボクに
進軍ラッパを容赦なく響かせます。
「♪パッパッカ パッパッパー♪」
反射神経で起き上がったボクは
高校を卒業した息子に貰った
ジャージにサッと着替え
カワセミ色の吉尾川へと
クレソンを採りにゆきました。
農閑期に当たるこの時期は
野菜BOXのメニューが揃わず
フキノトウ・ノビル・クレソン等の
山菜を採取するのがボクの係。
指先が凍る程まだ冷たい川の水も
雪の降る寒々とした避難所で
今後の不安に震える被災者を
思えば何のことはありません。
思い出す度込上げてくる物を堪え
ボクはクレソンを摘みました。
茨城・栃木・千葉・埼玉・東京・
神奈川村明さん!
食料のことは心配しなくて良いョ!
こんな時のために
ボクはどれみ村を始めたんだから
困難に負けず頑張ってて下さいネ。
出荷センターへの八十㎞の道のり
原発処理の状況をラジオで
聞きながらボクは車を走らせます。
状況は悪化の一途を辿るばかりで
チェルノブイリに次ぐ
レベル五に引上げられ
いつ爆発してもおかしくない
状態にも拘らず
政府は 状況は改善の方向にあり
放射能漏れも直ちに健康被害を
及ぼす状況ではないを繰り返します。
ボクは何言ってんだ「この嘘つき」と
ラジオに向かって怒鳴りつけました。
出荷センターに着き出荷の準備を
進めていると 人参や大根を持って
農職人のみんなが集まって来ました。
「それでは三月第三週の
出荷を始めたいと思います。」と
ボクが合図を出し
いつもの様に和気あいあいと
箱詰め作業が始まりました。
女性群が何やら内輪話をし始め
それにつれ男性群も話し始めました。
ボクも相づちを打ちながら
箱詰め作業をしていたのですが
しばらくしてふと気着いたのです。
誰一人地震の話題に触れないのです。
何故なのだろう?ボクは地震の話
原発の話をしたくて仕方ないのに
誰一人その話題に触れないのです。
結局箱詰め作業は終ってしまい
ボクは配達の為に「お疲れさん」と
声をかけ車に乗り込みました。
ラジオでまた原発情報を
聞きながら運転をしますが
何故だろう?が頭から消えません。
配達に行く先々では
みなさんその話題に触れるのにです。
何故だろうの疑問は結局
家に帰るまで着いて廻りました。
帰宅後早速PCの前に座り
メールに寄せられた情報や
政府やTVとは違う角度からの
ネット情報に見入っている時でした。
そうか!何故お百姓さんたちが
地震の話題に触れなかったのか
「解ったぞ」と 思った瞬間
またボクは自己嫌悪に落ちました。
何が農明シンガーだ!
何が農的暮らしだ!ボクはそこで
所詮百姓になり切れない
情けない都会人を自覚したのです。
今回の件で彼等が知っているのは
TVや新聞で得た情報だけですし
ましてや毎年季節が変わる度に
鳥や虫からの被害にやられ
尚かつ台風や干ばつと言った
自然災害の脅威に
常に立ち向かっている それが
有機農業者の彼等であることを
そしてここは熊本であることを...。
だからこそ彼等は目の前のことに
淡々と向かって生きられるのです。
それに控え
色んなことを知っているが故に
不安や怒りに振り回され
仕事も手に着かなかった
軟弱なボクとは違うと言う事を
痛切に思い知らされたのです。
最後に
この国を心底支えて来たのは
今回尊い命を犠牲になされた
お百姓さんや漁師さんたち
そしてその家族なのですョネ。
ありがとうございました。
今もこれからも
ボクのやるべきことは
あなた達の犠牲を無駄にしないで
原発や海外の食料に頼らない
自立した「瑞穂の国」に
再生させることです。
頑張れ日本!頑張れ日本人!