2006年9月 1日
特別インタビュー
夢を追い続ける男・天波博文さん
音と農に生きる現代の吟遊詩人
ミュージシャンであり、お百姓さんでもある
天波博文さんに、イキイキと夢を追い続ける
「ビジョン」と「パワー」の根源を聞いてみた!
藤本 天波さん、こんにちは!」
今回のライブツアーは、19日間にわたり日本各地で7回のステージを行われたんですね。
しかもたった一人で車を運転して・・・。凄いパワーですよね。
とても、お孫さんがいるお爺ちゃんには見えない(笑)。どうでしたツアーを終えて?
天波 京都から熊本に越して、この12月で8年が経過します。
その間、関東以北まで全国に分布するどれみ村の村明(そんみん)さんが、
例え生産地を訪れることが出来なくても、
ボクがライブツアーで全国を回れば、きっと村明さんにお逢い出来る日が来ると
思い始めたのがきっかけでした。
ツアーを終えて我が家に帰り、真っ先に行くのがPeke天然農縁(天波さんの畑)です。
畑の草取りをしながら思うことは、日本中の色んなところで、
どれみ村の玄米や野菜を楽しみに待っててくれる人がいるんだョナ~!
身体が動いて声が出るうちは、しんどいなんて言っていられない。
農的暮らしの中でボクが感じた思いを歌に託し、全国の村明さんに逢いに、伝えにゆかなくちゃネ!
なんて、出来る限り後ろを振り向かないで継続することを決意すると共に、前向きに反省するのです。
藤本 出来る限り後ろを向かないって良いですね。
チラッと見たりはするけど、ビジョンとか夢って、過去を見ていると見れない様な気がします。
未来から今を見つめ、そして行動していくことだと思いますね。
今回、山中湖のライブをお聞きしましたが、ますます力強いメッセージをいただきました。
天波さんの生き様というか、ビジョンを感じました。ズバリ!天波さんの夢とは、改めて何ですか?
天波 ボクの夢は、生まれてよかった。生きててよかった。キミに逢えてよかった。
の連続の人生を送ることです。これじゃ抽象的ですので、もう少し体験を交えてお話しします。
小学3年生の音楽の時間、サンサーンスの『白鳥』を聞いた時にボクの夢は決まりました。
夢の根源は「ボクもこんなに気持ちの良い音楽を作れる作曲家になりたい!」です。
これは今でも永遠追いかけている夢です。なれるかどうか?達成出来るかどうか?
なんて、その時点では解りません。でも、その時そう思ったし感動したのは確かです。
そんな健気な自分の思いを大切な宝物として持ち続けられる。
そして、そのことを目指し日々歩き続けられることが夢の全体像ではないかと思っています。
夢を「夢のまた夢』等と言って神棚に祭ってある夢は、それは夢では無く「憧れ」だとボクは解釈します。
夢は留まることのない前向きな人の行動だと思うからです。
女性は現実的で超体感的な子宝(夢)を産めますが、男性は残念ながら子供は産めません。
だから、男性も女性同様に自分の命に変えても守るべき大切な子宝を持ちたいのかも知れませんネ。
藤本 今でも、その夢を追い続け音楽家として活躍されていますが、
有機野菜の宅配サービス「どれみ村」の村長さんでもあり、生産者でもありますよね。
それは、天波さんの夢の世界が広がったということなんですか?
どうして、音楽だけでなく、有機農業(どれみ村自称の友氣農行)の方にも、活動領域をひろげたのですか?
天波 簡単に言えばそう言うことなのですが、夢が広がったと言う表現より、音楽と言う夢を追求するが故に、
この生活環境と食環境が必要不可欠になったと言う方がピッタリ来ます。
藤本 天波さんの夢の音楽と友氣農行の結びつきを、もう少し具体的にお聞かせください。
天波さん程の実績も才能もある音楽家が何故音楽一本に絞らずに、
それも理想に近く難しいとされている友氣農行なのかが、僕も含め皆さんも興味津々なんだと思いますよ。
天波 音楽家が農行をやるのが、そんなに興味があるのですかネ?
あえて言うなら、政治家も、学者も、医者はもちろん、スポーツ選手も、会社の社長も社員も、
そして芸術家だから、今こそ農に携わる時間を持たなければならない時代が来ていると思います。
何故なら、芸術の「芸」の意味は、「種を蒔き命を育む」ことと、漢字源辞典に書かれています。
藤本 なるほど。天波さんのステージで感じる喜怒哀楽をもっと聞かせて下さいよ。
天波 そうですか。それでは天波節を唸りますョ。旅ゆけば~~♪は冗談(笑)
だって、韓国との関係はサッカーや映画や音楽と言った文化の力も加勢して、
表面上は旨く行った風だけど、その隣りの朝鮮と中国の緊張関係は未だ続いています。
7月中旬に台風4号が発生したことを覚えていらっしゃいますか?
幸い日本を避けた巨大台風4号は、その後中国南部を襲い、その被害たるものや、
想像を絶する二千十六万人もの方が被災したのです。
中国南部と言えば農業が盛んな地帯です。そのことは、たちまち日本の青果市場に影響を及ぼし、
キュウリやナス等は5倍以上の高値で販売されました。
何を言わんとしているかお判りだと思いますが、我が国の自給率のことです。
公証では40%と言われていますが、既に農の現場にいるボクは、
この数字が公人達の戦略的な意図があることを知っています。
カロリーベースとか何とかややこしい理屈をつけていますが、特に畜産関連はカロリー的には高い訳で、
牛や豚、鶏のエサは100%を超える輸入量であることを知っていますか?
国産牛だから安心等と皆さんも思っているでしょうが、輸出時と輸入時にポストハーベストされた
エサの一体どこが安全なの?
そして、エサを輸入しておいて何が自給率なのでしょう?
肉だけではありません。小麦も大豆もコーン等の農産物や魚、そして木材まで、
それも化学物質漬けになったモノを輸入に依存しているのです。
因に、農産物で自給出来ているのは、お茶とお米だけです。情けないと思いませんか?
若者よ!ボク等と一緒に黒玄米茶漬けを食べながら友氣農行をやろうよ!
お母さん達よ!ベランダに菜っ葉でもシソでもミニトマトでもいいから、
自分たちで作った安全・安心野菜を子供たちに食べさせてあげようョ!
藤本 その通りですよね。僕は、お野菜を食べることでお手伝いしますよ。(笑)
ところで以前若かりし頃、今でも現存する、
当時外食産業のトップを極めた「イタリアントマト」の社長室長をなさってたことがありますよね。
そのことも、音楽と農の世界の結びつきに何か関係あるのですか?
天波 大いにあります。ボクは自分自身がアレルギー性の喘息だったこともあって、
スペシャルな偏食家で添加物や化学物質にとっても敏感なんですョ。
そんなボクですから、当時飲食業界の裏側を目の当たりにした時は、本当に驚きでした。
化学調味料は勿論のこと白砂糖をこれでもかと使い、
ミートソースでもカレーでもベースは全て缶詰めなのです。
ケーキに使う生卵でも皮を割った中身だけが、
ビニール袋にぎっしり詰まって送られて来る様なものを使っているのですョ!
全てが本当に鶏の卵なのかと、疑いたくなる様相のものをですョ。
(ボクだから大げさに感じるのかも知れませんけどネ。)
学生時代に中華料理店の皿洗いをしていた頃、
床に落ちた料理をもう一度盛り直したりしているのは「まぁこんなもんだろう!」と何度も見ましたが、
大企業がやる飲食業の裏側を知れて、
ある意味ジャンクフードから身を守る学習が出来て良かったナ。と思っています。
そんな訳で実家も飲食店をやっていましたので、音楽と食がいつも身の回りにあった訳ですが、
食が農に結びついていったのは、このレストラン時代に料理素材の奥に入っていったのが、
現在のどれみ村に辿り着かせる切っ掛けだったんだナ!と振り返ればそう思います。
藤本 それから、一大決心をされて友氣農行の道へ!どれみ村を立ち上げて、もう18年ですよね。
今までやってこられて、苦しいこと・怒ることや楽しいことなど色々なことがたくさんあったと思います。
苦しくて、悲しいことって、どんなことですか?
天波 志を持って始めたことですから、苦しいことはある種、
当たり前と受け止めていますので特にありませんが、強いて言うなら、
まだまだ友氣農行は運動の領域にあり、事業性が低く経済的安定が見込めないことですかネ。
折角栽培した野菜が虫や動物に食べられたり、雨風の自然災害に全滅した時などは悲しいですけど、
すぐ次の野菜を植えなければならないので、実際には余り悲しんでいる暇もありません。
むしろ、前述した様にまだ友氣農行は運動の領域ですから、単なる商売と一緒にされ農閑期や端境期の時に
「こんな虫だらけの野菜を送って」とか「毎回同じ様なもばかりで飽きてしまう。」
なんて言われた時、悔しいさを堪えるがゆえに、とっても悲しくなることがあります。
藤本 逆に、やっててよかった!と思えることって何ですか?
天波 さっきの話の逆ですが、自分たちが育てたお米や野菜が「自然のものは美味しいね」と言われたり
「持病の何々が治りました」などと、お客様に感謝される時です。
そして何より、同じ志を持った人に出逢えるのが最も嬉しいことです。藤本さんとの出逢いの様にですョ。(笑)
同調出来る出逢いからは、元気をもらい、勇気がもらえます。
そして、そこから今回のお話しのテーマでもある「夢やビジョン」が生まれるのだと思います。
ちょっと質問からずれますが!例えば、好きな女性と一緒にいられることが嬉しいと言う夢であって、
誰しも結婚そのものが嬉しい訳ではないでしょ。
藤本 そうですよね。むしろ世間では、結婚は地獄などと言って結婚する人が減少したり、
離婚者が急増したりしていますが、天波さんの言う夢の形や外観ばかりを求めてしまうからなのですね。
天波 そうですョ。夢とはドキドキ・ワクワクしてしまう嬉しい気持ちのことですョ。
嬉しいの漢字に表してある「女性」の「喜ぶ」ことをするのが、男性の夢の方向性だと思います。
藤本 本当に天波さんはユニークな考え方をお持ちですね。
ところで、農業は自然が相手じゃないですか?自然の中で、たくさんのことを考え学ばれてきたと思いますが、
自然に対して、今天波さんはどんなことを思ってますか?
天波 前向きな反省心の表れだと思っています。
マクロで見れば生きてる地球ですし、ミクロで見れば自分たちも含めた命あるものの小さな細胞の一つ一つです。
そんな奇跡的な命の繋がりを、自分が生きてゆくことで、切ったり絶ったりさせない様に、
これからも、どれみ村は自然と語り合いながら、ゆっくりと一歩づつ、
子供たちの笑い声に湧く未来を手渡す為に「ごめんなさい。ありがとう。」
を美旗に人が荒らした地を耕してゆきます。(その為にも健康で長生きしなくっちゃ!)
藤本 ところで「280歳まで生きる会」を立ち上げたとお聞きしましたが、それって何なの?
天波 九州で出逢った友人のミュージシャン達と構成している、
ユニット名(昔でいうバンド名)のことで、その名を八百萬爺(ヤオヨロジー)と言います。
このユニットのビジョンが280歳まで生きて、音楽をやり続けてゆこうョ!と言うものなのです。
そうすれば、ボクらが無名であろうと何であろうと、そんな元気な爺さん達の奏でる音を聞いてみたいナと、
世界中から音楽を聞きに来てくれるじゃん。と言う浅はかなビジョンです。
そんな冗談みたいな会話をしながらセッションを重ねているのですが、
最近面白い意識が生まれる様になって来ました。
それは、自分の寿命が70歳代ではなく、280歳だと固定概念を転換するだけで、
現在54歳ですからまだ五分一の人生も生きてないことになる訳です。
「まだ半人前にも満たない若造が理屈ばっか言って、日々の行動を積み重ねネェーか!」
なんて『謙虚で前向きな反省』が出来る様になったので、随分楽に生きれる様になりました。
是非、藤本さんも「楽になりまっせ!!」楽しんでやらなければ継続性も革新性もありませんからネ。
藤本 そうですよねえ。280歳まで生きるとなると、生き方が変わりますよ。
将来のビジョンをもっともっと長い目で見ないとね。(笑)
天波 藤本さん、そして読者の皆さん!
天波のくだらない田和言(たわごと)につき合ってくれて、ありがとうございました。
最後に、数年前NHKのみんなの歌になった曲『パッパラパパ&パッパラママ』をお届けします。
from 天波博文
馬鹿でマヌケでトンチンカンのアッホー
力まず焦らず奢らず楽しく行こう
上を向いてもきりきり舞いさ 下を向いてもおっとっとっと
調度好いのが一番なんだョネ。
Hey Hey Heyパッパラパパ Hey Hey Heyパッパラママ
そんな愉快な父ちゃんでいたいョ
そんな優しい母ちゃんでいておくれ
【天波博文プロフィール】
天波博文さんは、1952年生まれの54歳
現在は熊本の芦北郡に住んでいて、ミュージシャンでもあり、
株式会社百姓市起(有機農業の流通事業・野菜の宅配など)の代表取締役社長でもあり、
自らも有機野菜を作っている、お百姓さん(生産者)でもあります。
1972年に「丘蒸気」というグループを結成し、
テイチクレコードより「地球は泣いている」「あぁゴミちゃん」という楽曲でメジャーデビュー!
天波さんはこの当時から、地球環境の問題を歌にしていたんですね。
あの、矢沢永吉ひきいるロックバンド「キャロル」とは、同じ事務所で一緒に
全国ツアーや武道館ライブもやったそうです。
みなさんご存知?のジャイアント馬場のテーマソングや2年前かな?
NHKの「みんなの歌」で紹介された「パッパラ・PaPa」も天波さんの作品です。
他にも、たくさんのアーティストの作詞作曲も手がけています。
デビュー後、何枚かのレコードとアルバムをリリース。
作曲家・作詞家・プロデュサーとして活躍するが、
自分の音楽を見つめなおすために、富士山の麓にある山中湖に転居。
そこで「音と農に生きる」ライフビジョンを決意し、今の天波さんの活動の基礎が生まれた。
天波さんにはいつも、「自然の偉大さ・大切さ」や「食の大切さ」など教えてもらっています。
地球の未来を考えると、このままでいいのか?といつも自分に問いかけ、
音楽や有機農業に自分の生きる道を見出し、積極的かつ力強く活動されています。