2013年5月18日

知識だけで比べるのではなく知識と体感を比べ判断することさ!

20130518.jpg

お陰様で お世話さまです。
今年の梅は実りが少ないな〜と
思いながら胡麻の種まきを
せっせとしている今日この頃です。
 さて前回同様 藤本社長から
天波へのインタビュー形式で
始めさせていただきアース。
とは言うものの実際には東京と熊本
中々会う訳にもいかないので
メールでのやり取りで 
この原稿を作成しています。

 (以下*F→藤本社長/T→天波)
F「食の安全が叫ばれて数十年が
 経過していますが農薬の問題は
 現状どうなっているのですか?」
T「のっけから核心的な話しですか?
 それではまず農薬って何?から
 復習しましょうかネ。
 ◉農作物に加害する病害虫
 雑草・ネズミなどを防除して
 作物を保護し 農業の生産性を
 高めるために使用する薬剤です。
 但し 天敵及び植物成長調整剤
 も農薬に含めます。付け加えて
 その中には使い方によっては
 健康に悪影響を及ぼす化学物質が
 含まれているので法律で管理・監督
 されているのです。」
F「はい そこまでは解りました。」
T「では ここからが
 農薬問題の現状の話しです。
  もう五年前の話しになりますが
 中国製の冷凍餃子から毒薬が
 検出された事件があったでしょ!
 貿易上の事件は迷宮入りが
 多いので 興味のない人は
 ご存じないかも知れませんがネ!
  その餃子から実際に検出された
 メタミドホスと言う毒薬ですが
 日本では農薬登録の必要がなく
 農薬取締法に基づいて
 国内での使用は禁止されている
 毒物とされているんですってョ!
  なんか解りづらいでしょ?
 要はメタミドホスは農薬ではないが
 市販のゴキブリ用スプレー等に
 含まれている殺虫・防疫薬等には
 使用が許されると言うことなのです。
   ですので最初は輸入餃子事件で
 その後にジクロルボス・パラチオン
 (除草剤等)・パラチオンメチルの
 計3種類の有機リン系殺虫剤が
 検出されたため農薬入り餃子事件
 として扱われたと言う訳です。」
F「ちょっと待って下さい。
 解った様で良く解らないので
 結論をお願いします。」
T「すみません。結論は各国によって
 農薬の基準が違うと言うことです。
  また何故中国の話しを
 持ち出したかと言いますと
 日本人のボクたちは
 海外からの農薬汚染された
 輸入野菜を怖いと思っていますが
 実は世界一の農薬使用国は
 灯台もと暗しの日本なのです。
  因みに中国は日本の20分の1の
 農薬使用量と言うことですし
 2位の韓国ですら2010年には
 国を上げて減農薬に取り組み
 30%減を達成しているのです。
 また米国の7倍も使用している事を
 殆どの人が知らないのが日本なのです。
  従って我が国の農薬問題は
 天然農薬や微生物農薬等も加わり
 更に複雑化して来ている現状です。」
F「しかし何故日本は そんなに
 農薬を使用するのですか?」
T「まぁ表向きは日本の気候が温暖で
 雨が多いために病気や害虫の
 発生が多いと言う やむを得ない
 事情もあるそうですが...。」
F「そうなんですね!
 そう思うと海外でも有機栽培は
 盛んじゃないですか?
 農薬づけの日本野菜よりは
 よっぽどマシだと言うことですね!
 ではTPPでそんな有機野菜が
 安く入ってくるのも
 消費者にとっては かえって
 良いことなのかも知れませんね?」
T「こりゃまた変り身の早いこと(笑)
 低価格なことは消費者にとっては
 嬉しいことでしょう。 
 けれどそれが企業戦略なのですから
 気をつけた方が良いと思いますョ。」
F「え!どういう事ですか?」
T「まぁ貧乏人の安物買いとか
 安かろうマズかろうの
 言葉にもある様に
 通常の値段よりも安価な物には 
 それなりの訳があるからです。
 そのことを《価格差別》と言います。
 しかし その訳を歴然と公示して
 本人が納得してそれを買う分には
 文句は言えないと思いますがネ?
  中国の餃子事件がいい例で
 長年両国の厳しい品質検査基準を
 クリアーして来たからこそ
 信頼して貿易し続けて来た訳です。
 しかし 時代や経営状況の変化で
 予期せぬ事態が起こったのです。
 報道では国営で巨大化し過ぎた
 餃子会社の経営悪化を背景に
 ある従業員が報復行動として
 工場内にあった殺虫液剤を
 梱包後の箱の上から
 注射器で混入したと言うことで
 犯人が逮捕されたのでした。
  本当かどうか?完全に疑わしい
 お粗末な結末でしょ。この様に
 海外からだと真相もなお一層
 解りにくくなってしまいます。
  やはり安かろうマズかろう!の
 典型的なパターンだと思うョ。」
F「そうなのでしょうかね。」
T「ちょっと!もう一言良いですか?」
F「ハイどうぞ。」
T「安全は紙面上の文字や数字や
 図画を読み解き勉強するもの...。
 安心は自分の肌触りや香りの
 好みで判断して納得するものだと
 ボクは考えています。
  特に食べ物は細胞単位で
 影響を及ぼす物ですから
 安全も大切ですが 自分の
 体質や肌感覚に照らし合わせ
 注意深く吟味して 最低限
 生産者の顔が見える安心と
 美味しさを購入したいですョネ。」
F「なるほどですね!
 食べて美味しくなければ
 せっかく買っても損した気分に
 なりますし それで健康を害しては
 何にもなりませんもんネ!」
T「そうですョ。」
F「では最後の質問になりますが
 有機農法と自然農法って
 どう違うのでしょう?またどっちが
 良いとかあるのでしょうか?」
T「これも答えがあって無い様な
 難しい質問ですネ。何故なら
 有機農法は国際的にも大差なく
 定義され認知されているのですが
 自然農法の方は統一性に乏しく
 二つを天秤に計るのは困難です。
 よって有機農業の定義を
 お話しすることにしますネ。」
F「素人の質問で失礼しました。」
T「いやいや逃げ口上ですョ(笑)
 有機農法(organic
 farming)とは
 基本的には化学合成農薬と
 化学肥料を用いない農法と
 言うことです。
 この他に、最近では遺伝子組み換え
 品種を用いないという様なことも
 必要条件に加えられています。
  その安全性を証明する為に
 日本では農水省が
 各県に有機認証団体を配置し 
 年1回圃場(ほじょう)を視察
 土壌検査や
 農作業を監視する栽培管理書等の
 書類提出を法で義務づけています。
 更に米等を保管・精米する施設や
 加工や袋詰めを行う施設にも
 有機認証制度を義務づけています。
F「へ〜そんなに厳しいのですか!」
T「また〜安全神話に簡単に
 もっていかれてはダメですョ!」
F「おっと!そうでしたネ!」
T「一方自然農法はと言うと
 色々な分派がありますし
 統一された定義はないのですが
 自然農法家の福岡正信氏の
 自然農法が有名です。
 それによると無農薬・無肥料に加え
 不耕起・無除草が4大原則で
 肥料は出来る限り与えないと言う
 その点に特徴があると言えます。
  どちらが良いのかと言う質問は
 さっきお話しした様に
 化学に依存して来た近代農業と
 それに対抗した流れが
 有機農業や自然農業ですから
 この二つを天秤にかけるのでしたら
 後者の方に傾きます。
  何故ならエコひいきだから・・・(笑)
 人類活動の全てに自然循環型を
 ビジョンとして据えないと
 人類の未来は 地球から飛び出す
 宇宙人になってしまうからです。
F「おっとまた天波さん得意の
 飛び道具が出ましたね。そうはさせ
 ませんョ!(笑)読者は有機農業と
 自然農業のどちらが良いのか?
 聞きたいのですからね!」
T「分かりました。
 別に逃げる訳じゃありませんョ。
 ただ頁の終わりが近づいて......。
  ではボクがどんな農法を
 実践しているかをお話しします。
  その前にお断りしておきますが
 ボクはただ土と戯れているだけで
 それを自然農法などと呼んでは
 プロのお百姓さんや生産者の方に
 大変失礼なので 天波流「寓田良(グ
 ウタラ)放任農法とでもしておいて下さい。
 だってボクは農産物の生産で
 生計を立ててる訳ではないからです。
  まぁ唯一の換金作物と言えば
 草刈りだけして放りぱなしの
 木なり甘夏。それにワラビや
 フキノトウと言った山菜など。
 それにクレソンもあったナ!
 あっ!そうそう!この5月には
 一株から6年間でここまで増やした
 それこそ肥料も殆どあげていない
 イチゴがいっぱい採れたので
 5月はどれみ村の村明さんたちに
 お裾分けしました。
F「と言うことは自然農法なのですね」
T「だから寓田良放任農法ですって!
  最後に真面目に...安心安全で
 より多くの人々の食糧として
 生産・流通するためには
 有機農業の方が適していますし
 自給型や地域コミュニティー型の
 生産・流通を目指す人には
 自然農法が適しているのでは
 ないかと思います。」
F「ありがとうございました。
 近代農業の歩んで来た道は
 環境循環型ではなかったのですね。
 ではくどいですが 健康的には
 有機農と自然農のどちらの野菜が
 身体には良いのでしょうか?」
T「そりゃ〜どちらの野菜も
 健康には役立つと思いますョ!
 ただオーガニック系の人の中にも
 全く動物性の物を受け入れない
 人もいますし またその逆の人も
 いますので 安全志向だけに偏らず
 自分自身の体質にあった
 オーガニック食品を食べることを
 お薦めします。♬いただきアース♬」

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2013年2月24日

友氣農行は食糧生産だけをやっている訳ではない!

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ご無沙汰していました。
昨年10月に出稿して以来 久々の
出稿となることをお詫び致します。
昨年の後半は原発の是非を問う
時代的にも重要なポイントであり
ボクは被災地移住者たち受け入れの
重鎮を為していたもので
『牙をなくしたドラゴン』の最終回も
未完のままとなってしまいました。
この件に付きましては
藤本くんにも了解を得て「近いうちに」何処かで聞いたセリフ?♥
最終回号をアップしますので
お許し下さる様お願い申し上げます。
なんか電力会社のコメントみたく
なっちゃったけど...ごめんなさい。
あぁ!これで去年から
ずっと気になっていた思いから
半分解放されてすっきりしました。
晴天の春爛漫とまではいかない迄も
これで花曇りの春は迎えられるかナ!

さて2006年9月に
「生き生き通信」と言う畑に
天波の「エコひいき」として
初穂を降ろさせて頂きました。
あれからもう6年目になるのですから
審美眼の利く人はボクが如何者か?
お見とうしでしょうが
お察しの通り野山を飛び回る
「和タンポポ」でございます。
ボクの農的暮らしを通して
体験してきたことや拙い知識が
ライトスタッフファンのみなさんに
少しでもお役に立てればナとの思いで
6年前に出稿し始めたのですが
お役に立つどころか 気づけば
雑草と間違える程 とっ散らかしの
放置状態になっていた様に思えます。
そこでもう一度原点に立ち返り
藤本くんともファーストコンセプトを
真剣に論じ合った結果
ボクの自由勝手にやって...(冗談!)
軌道を修正することになりました。
そんな訳で今号は藤本くんによる
ボクへのインタビュー形式と言う
スタイルで始めさせていただきアース。

*F→藤本くん/T→天波
F「プロミュージシャンだった
 天波さんが、何故農業に
 深く関わったのですか?」
T「良く聞かれる質問ですが
 そのことを話し出すと
 深く長くなるので
 切っ掛けとなったこと等を
 簡単にお伝えしますネ。」
F「そう願います。」
T「切っ掛けは ほら!共通の知人で
 ボクの一回り上の先輩に
 役行者(えんのぎょうじゃ)の
 生まれ変わりと噂されていた
 先輩がいたじゃないですか!。
 今は亡きあの先輩に ある時
 言われた言葉があるんですョ。」 
F「あの方ですネ!その言葉とは?」
T「それはあるコンサートが終わった
 帰りの車の中でのことでした。
 信号で止まったフェアレディーZの
 ハンドルを強く握りしめた先輩は
 お前の音楽には もう一つ何かが
 足りないんだよな!
 それはただキレイに描かれた
 風景画の様なだけで
 汗が感じられないんだょ!と
 信号を見上げながら呟いたのです。
 今までそんな評価を
 聞いたことがなかったボクは
 直感的に故郷の東京を離れ
 富士山に移住した時の
 あの心境と何故か重なり 強烈に
 考えさせられた覚えがあります。」
F「汗がないですか!それが農業への
 入り口だったのですね。
T「そうです。音楽で言う汗がないと
 言うことがどんなことなのか?
 その答えを探す為に
 ボクはあの人と一緒に
 芸農プロダクション百姓市起㈱を
 立ち上げることになったのです。」

F「そうでしたか。天波さんの行動の
 根幹にはいつも音楽があるのですネ
 今日はその枝葉の農業と食について
 お聞きしたいのですが? 何故
 有機農業にこだわったのですか?」
T「だって近年の農業は
 如何に汗を少なくかくかを
 追求している訳じゃないですか!
 その点 有機農業・自然農業は
 決して汗かくことを
 惜しまないじゃないですか!」
F「なるほど〜!だから
 天波さん自身は農機具を使わず
 カマとクワの自然農法を
 実践しているのですね。」
T「そんな大それたことじゃなくて
 自然の音の中にいたいだけだョ。」
F「それでは次に食のことについて
 お聞きしたいと思います。
 食の改善運動をテーマとした
 どれみ村を設立されて
 25年でしたっけ?
 活動の中から感じてきたこと等が
 ありましたら、お聞かせ下さい。」
T「そうですか!この話題も
 沢山伝えたいことがあって
 長くなりそうですから
 一体何を話そうかナ〜?
 そうだ!このことがいいかナ!
 日本人の栄養摂取状態であったり
 そのことから来る病気に関連して
 ボクも含め現代の日本人は
 自らのいのちの再生活動とも言える
 『家庭で料理をする』と言う
 ここでも汗をかく時間が減少して
 しまったと言うことですかネ!
 どれみ村を始めて それこそ毎日
 身近に野菜がある訳じゃないですか
 それにここは山奥のど田舎ですから
 一番近いレストランに行くにも
 20㎞は車で走らないとダメなので
 お陰で貧乏作家だった頃の様に
 毎日料理することに戻れましたが
 仕事に追われている都会人では
 ましてや夫婦共稼ぎの人では
 解っていても中々難しいと思います。
 ですからどれみ村では
 4人家族の1週間分相当の
 12種類のお野菜をセットして
 毎週出荷しているのですが
 これでは消化出来ず余るとの声が
 多かったので 隔週コースと言う
 2週間に1度と言う
 配送コースを設けたのです。
 このことからも伺い知れる様に
 牛肉・豚肉・鶏肉・小麦・大豆等の
 輸入食材が増加傾向にあるうちは
 当然野菜の需要は減少すると
 言うことになるのですかネ!」
F「そうなのでしょうかね。
 ではこれからの農業は
 どうしていけば良いのでしょう?」
T「まぁ簡単に言えば
 50年かかって変化してきた
 食生活ですから 
 ボク等の願っている日本の伝統食と
 言われる日本食の生活に戻るには
 おそらく50年以上の年月が
 かかるのでしょうし
 もしかしたら もう2度と
 戻れないのかも知れませんネ。
 かといって農業が日本から
 全く消えることは絶対ありません。
 何故なら農業は人類が人類である
 ための基幹産業ですから
 食糧生産としての農業が
 TPP等の影響により減少しても
 エネルギー生産としてや
 国土保全や環境保全としての
 農業が盛んになると考えます。」
F「では自給率は上がらないと言う
 ことですか!何とか自給率を上げる
 ための解決策はないのですか?」
T「それがさっきお話しした
 牛肉・豚肉・鶏肉・小麦・大豆等の
 輸入食材を食卓から減らすと
 言うことだと思いますョ。
 農水省のデータでは
 日本人の朝食がお米に変わるだけで
 自給率が2%アップするそうです。
 それをさらに白米でなく  
 玄米にすることが出来れば
 玄米パワーの相乗効果によって
 2倍以上にはなると思いますがネ。」
F「朝食をお米にすることから
 ですかね。私も伝えてゆきます。
 では最後の質問になりますが
 有機やオーガニックに拘っている
 人は、エコ社会を実現するには
 よく意識改革が必要と言いますが、
 本当に食を通じて
 意識改革はできるのですか?」
T「今回の対談でボクが数回使った
 《汗をかく》と言うキーワードから
 考えると解りやすいと思いますョ。
 例えば現代人の殆どの人が
 汗は汚い不潔なものと
 嫌がっている意識だと思います。
 しかし 戦後日本に進駐軍が
 上陸した際 彼等が発した言葉に
 日本人は臭いと言う印象が
 あったそうですが
 これが本来の日本人の体臭である
 ぬかみそ臭いと言い直すことが
 出来るのだと思います。
 要するに50年前までの日本人は
 体臭が発酵臭に近く
 現代人は腐敗臭に近い
 進駐軍と同じ体臭になっている
 と言うことではないでしょうか。
 肉食を控え穀類菜食をやってみれば
 この体臭問題は明らかに変化します。
 要するに汗が嫌いだと思っていた
 意識が変革し むしろ好きになり
 デトックス効果が体感出来れば
 汗が愛おしく思える様になります。  
 汗は何も語らず報酬も求めず
 自分に過ぎた異物や毒物を
 毎日24時間休みなく働いては
 排出してくれているのだと気づき
 感謝の気持が生まれてくるのです。
 額に汗して働け 汗と涙の結晶
 などと賛美されていた汗は
 解釈され意識化されています。
 だからこそ汗をかくと言う
 自然治癒力を促進する方向と
 意識改革が大切だと思うのです。」
F「汗にそんなに意識を
 持っていませんでしたので
 大変有意義なお話を聞けました。
次回も読者の代表として 
 天波さんに質問するスタイルで
 宜しいでしょうか?」
T「その方がボクも助かりますので
 暫くこのスタイルでやりましょう。」

最後に友氣農行だからこそ学べた
《汗》についてちょっと驚きのネタを
お話ししてフェードアウトします。
外気温や運動等によって生じる
体温を調節する為にかく汗は
実は私たちを含め生き物にとって
様々な役割を果たしていたのです。
それはビタミンや酵素と言った肌を
保護する成分を生成していたのです。
(因にビタミンや栄養と言うものは
少なからず微生物や酵素の糞尿・
汗・排泄物だと言えます。)
その生成物の中にフェロモンと言う
生理活性物質が存在することは確で
・「性フェロモン」成熟して交尾が可能
な事を知らせる。また それを追って
異性を探し当てるのに使われる。・「道
標フェロモン」餌の在り処等、目的地
から巣までの道程にフェロモンを残し
その後を他の個体に辿らせる。・「集合
フェロモン」交尾や越冬などのために
仲間の集合を促す。・「警報フェロモン」
外敵の存在を仲間の個体に知らせる。
この様に汗は生物の生存情報が
一杯詰まっている宝の巻物なのです。

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2012年8月 2日

『牙をなくしたドラゴン』第2話「ピタノアグリの修行」〜歯なしの音氣噺し〜

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【前話までの流れ】
肉食の苦手だったチドゥーが
招き龍・鳴き声コンテストの会場で
巻き起こした大失態。
チドゥーを応援に集まった
家族や友だちはもちろん
村の名誉もがた落ちに...。
みんなの期待を裏切ってしまった
チドゥーは 自己嫌悪に苛まれ
家族や友だち そして村人からも
完全に姿を隠すために
御飯の滝の底にある
鍾乳洞の奥深くへと
身を隠してしまったのです。
さて それから
二〇年と言う長い年月が流れ
身を隠してしまったチドゥーは
鍾乳洞の中で何を食べ?
一体何を考えていたのでしょう?
そして いつ鍾乳洞を出て
元の世界に戻るのでしょうか...⁉

御飯の滝は山の中腹にある
落差一〇八mもある滝で
しかも夏期の豪雨時にしか
その姿を現さない
黒髪を一本に結った様な
日本的で精悍な幻の滝です。
他の期間は滝壺自体が
湧水になっているからでしょうか
一年を通し決して
枯れることはありませんでした。
水は真珠貝よりも透明で
豊富な水草に魚たちも
群がっていましたが
底までいって戻った者がいない程
滝壺は底無しに深いのでしょう?
光も届かない底からの闇に
水面が鏡の様に光っていました。

「オーイ!チドゥー
もう誰も怒ってなんか
いないんだぞ〜〜。
良い加減に出て来いョ!」
「そうョ!ご両親も村の人たち
みんなも心配しているのョ...」と
ムッチャギとロシータは御飯の滝を
訪れる度に滝壺に向かっては
声をかけていました。
門の向こうを通りがかった
村人が二人の様子を遠目に
「可哀想なことをしたサナ〜」
「ん。確かサナ〜。チドゥーは
変わった青年だったサが
あの日の金のウロコを見たサか!
彼はやっぱり伝説の龍聖人
ピタノアグリ様の化身だったのサ」
「両親はもちろん本人も友達も
オイラ達だって誰一人 そのことに
気づかなかったのだサカナ〜。」
「んでも命さ投げ出さんでもナ〜」
「ほんに気の毒なことサカナ〜。」

岩の門の前に掲げられていた
金のウロコで作られた立て札は
どうなったかと言いますと
二枚ともその日以来
「旅人立入り厳禁」と
書き換えられていました。
しかし 年に一度チドゥーが
滝壺に飛び込んだ日に合わせ
息の長く続く村の勇者が
滝壺を捜索すると言う
行事は続けられていました。
何故?チドゥーの捜索が
何年にも及んでいるのかですって⁉
村の噂 噂ですがネ。
チドゥーの金のウロコが目当てで
遺体収集を待ってるだとか?
それが証拠にはコンテストの当日
会場に飛び散った金のウロコは
全て審査員どもが持ち帰ったサ!
と言うことでしたョ。

会場を飛び出したチドゥーは 
捜索の声が聞こえなくなるまで
森の奥へ一旦身を隠し
みんなが寝静まるのを待ち
こっそりと御飯の滝へと
やって来たのでした。
チドゥーは立て札に書かれた
二つの言葉を胸に仕舞い
死んでも良い覚悟で
想い出の滝壺の淵に立ちました。
勿論チドゥーは何度となく滝壺で
遊んだことはありましたが
滝壺深く潜ったこと等ありません。
底は何処までも深く
到底息が続かないことぐらい
子供の頃から分かっていました。
しかし今回は死んでも良い覚悟
誰も見たことの無い滝壺の底を
最初に見るドラゴンになるんだ!
そのくらい開き直った勢いで
体に限界まで息を吸い込むと
一気に頭から潜り始めたのです。
チドゥーは自分を勇気づける為に
得意の龍曲を唸り始めます。
チドゥーの時々漏らす息が
音符の様な泡になって
地上に向かい上がってゆきます。
するとウロコがあの時の様に
金色に変わり周囲の水に乱反射
チドゥーは金の螺旋を描き
魚たちも一緒に潜ってゆきます。
水深一〇mを超える当たりから
やや水温が暖かくなり
三〇mを超える頃には
我慢する程度の熱さにまでなり
光もやや届かなくなりました。
更に五〇mを超えてからは
お湯が沸く時と一緒で
熱による上昇水流も加わり
上に戻されるあり様です。
それでもチドゥーは力の限り
必死に潜り続けました。
でもついに火傷しそうナ熱さに
我慢の限界を超えてしまい
「あっ〜つ〜〜〜〜い」と
溜めていた息を一気に吐き出し
悲鳴を上げ気絶しかけたのです。
するとヒゲと鼻先が 急に
冷んやりしたかナと思った瞬間
今度は凍る様な水温に変わり
今までとは違う逆の渦が起こり
底に引込まれる水流に
全ての力を失ってゆくのでした。
チドゥーはモウロウとする中
溜めていた息もなくなり
当然呼吸も出来ていない筈なのに
ちっとも呼吸が苦しくならない
ことにふと気づきました。
なんとウロコ一枚が剥がれる度
自然に酸素が体内に供給されて
いるではありませんか⁉
チドゥーは胸にしまってあった
二つの言葉を想い出しました。
「持ち物全てを置いてゆけ!」
「全ての力を抜け!」
チドゥーは これが死ぬ
と言うことなんだナと
もう考えることをやめ
静かに目を閉じたその時でした。
瞬時にもといた地上界に
突然放り投げられた様な
そんな感覚になりましたが
しばらくして もとの世界とは
違うことに気づくのでした。
森もあり池も土もあります。
もちろん光も温度もありましたが
生き物が閑散としているのです。
チドゥーは恐る恐る立ち上がり
閑散とした動物たちのいる方へ
歩き出そうとした時でした。
森の草木をガザガザとかき分け
動物たちを先導する様にして
身体よりも大きな牙を蓄えた
マンモスとその一同が チドゥーに
向かって集まって来たのです。
岩山程ある巨大なマンモスは
チドゥーの目の前まで来て
「チドゥーとやら其方のことは
水の知らせで聞いておったゾ!
ここはナ!真のピタノアグリに
なる為の最後の修行の場なのゾ!」

チドゥーはピタノアグリの
ことについては言い伝えでしか
聞いた事がありませんでしたから
マンモスの話をキョトンとしまま
ただうなずき聞いていました。
「よく聞けチドゥーよ!
この世界を任された
ワシの名はハンダーマと言う。
ここでの基本的な掟を伝えるゾで
心にしっかり刻み聞く様に!。
まず一つには供養を目的としない
肉食は一切禁じていることゾ。
もう一つには植物との繁栄を
担う為に動物の個体数を
むやみに増やすことは
断じて禁じておるゾ!」
「ハイ!」
「後の二つはご飯の滝の
立て札に書かれておった通りで
持ち物全てを置いてゆけ!と
全ての力を抜け!であるゾ。
これらの解釈に付いては
みなの者と仲良くし
暮らし方を以て体得する様ゾ!
まぁ〜ここのみなの者も
地上で八百萬だった者たち
いずれはもとの世界に戻り
水と植物の繁栄に仕える身ゾ
せいぜい日々精進し 早く
地界を卒業する様に努めろゾ!」
そう言い残すとハンダーマは
また森の奥に消えてゆきました。
チドゥーは残ったみんなに
山ほど聞きたいことが
あったのですがやめて
笑顔で輪に混じってゆきました。
みんなも違和感無く受け入れ
チドゥーの地界での生活が
始まりました。

チドゥーは地界の食事や
植物を育てる作業が
とっても気に入ってしまい
友だちと一緒に作った
巨大南瓜を積み上げた家で
毎日を楽しく暮らしていました。
「ネェ!チドゥーの大好きな
木の実をさっきとって来たの!
朝食を一緒にたべよう!」
「ベリーナ 君はいつも気が利くナ
ありがとう!それでは甘えて
いただきア〜ス!」
「いただきア〜ス。
ネェー今日は何処にゆく?
そろそろ私のお気に入りの所に
案内してあげましょうか⁉」
「え〜嬉しいナ!」
「そう〜!決まりだわ!」
「ネェーところでベリーナ!
ボクが食べている木の実
何て言うの?とっても美味しいョ」
「あら⁈珍しい
質問はしないんじゃなかったの⁈
でもそれは秘密ョ!
さぁー早く朝食を食べて
ランチも作って出かけましょ!
チドゥーも手伝ってョ!」
「うん。」

巨大南瓜を積み上げた
ビラ・パンプキンにはベリーナの他
地上で麒麟ドラゴンだったと言う
アスパラ伯爵と画家のフェンネル
僧侶だった聖護院と警察官だった
プロポリスと無口で自分のことも
話さない賀茂茄子さんの男性五人
女性二名の仲良し住人がいました。
           (つづく)

*作者が着地点も見えないまま
迷走しだしたストーリー。果たして
幸せなチドゥーに どんな修行が
待ち受けているのでしょうか...。
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2012年2月24日

『牙をなくしたドラゴン』第1話「金のウロコ」〜歯なしの音氣噺し〜

28-1.JPG
 昔むかし九州のあるところ
人里はなれた山奥に
牙をなくしたドラゴンがいました。
ドラゴンの名は「チドゥー」。
 チドゥーは子供のころから
友だちドラゴンと連れ立って
川の上流にある「御飯の滝」へ
よく遊びにいっていました。
 そこは瑞々しい木漏れ日が
苔むした滝壺を照らし
小鳥たちのさえずりが
遠近法に点描され
パノラマとなって広がる様な所。
山グルミをせっせと運ぶシマリスや
キョロキョロと周りを気にしながら
大好物の木の芽や草を頬張る
子鹿の群れやウサギの兄弟たち。
川ガニにお辞儀して
美味しそうに食べる猪の親子。
突然姿を現し みんなを驚かす
月の輪熊と月の狼も
御飯の滝はみんなにとって
大切な憩いのオアシスでした。
 蝶が舞い 蜂が飛びかう
水と光に満ちあふれた
御飯の滝の入り口には
大きな岩の門がありました。
 その門に金のウロコで作られた
立て札が二つありました。
「ここで古い心を脱いでゆけ!」
ただそう書かれた一つの立て札。
もう一つの立て札に
何が書かれてあったのかは
あとでお話しすることにして
主人公のチドゥーのお話しを
進めてゆくことにします。
 ところでドラゴンは
地球上に住む捕食類の
頂点に君臨していましたが
本当は雑食性だったって
知っていましたか?
 特にチドゥーは小さな頃から 
チョコレートとナッツが大好物。
それが原因で大切な歯を
虫歯にしてしまっていたのです。
 そのお菓子好き(砂糖)が招いた
決定的な話をしましょう。

 それは御飯の滝に久々訪れた
メシキコから渡って来たと言う
見知らぬよそ者
Crested Caracara
カラカラと名乗る
旅鳥がやって来た日のことです。
 友だちドラゴンが
いち早くカラカラ鳥を見つけ
「おいオマエ!そこの光る立て札の
言葉が目に入らないのか?」
「光ってて読みにくいゼョ!
ふむふむ〜なになに...
なんだか解らんが 
ここに置いてゆけば良いんだナ。」
 そう応えたカラカラは
古びたダウンジャケットを
脱ぎ捨て様としましたが
ふと大切な物がなかったかナ?と
ポケットをまさぐりました。
まぁ これと言って大切な物は
特になかった様ですが
故郷を旅立つ時に
妹のナバホからもらった
三つの種を手に取り出し
懐かしそうに見つめていました。
 やがてカラカラは お札に従い
岩戸門の前にある切り株の上に
ジャケットと種を置き
滝壺のあるオアシスへと 吸い
込まれる様に入ってゆきました。
 「オーイ今日はもう帰ろう!。」
チドゥーは「そうしよう!」と応え
友だちドラゴンの最後尾に着き
家路に向けて飛び立ちました。

 「バリハ〜イまたネ〜。」
 ムッチャギとロシータの
友だちドラゴンの二人は
それぞれの家に帰ってゆきました。
 チドゥーはと言うと
すぐには家に入らず
庭の大きなせん檀の木の下で
何やらごそごそ やっていました。
 どうやらチドゥーは
カラカラが置いていった種を一つ
拝借して来てしまった様です。

 大好物のナッツを爪に刺し
目を丸くし口のそばまで運びます。
「オーゥ なんて香ばしく
 軽やかなナッツなんだろう。」
 (実はこれはナッツではなく
カラカラのふる里の畑で採れた
ジャイアントコーンの実を
乾燥して揚げた物でした。)
 生唾を飲みながらチドゥーが
牙で噛み砕こうとした時です。
「コキーン」と硬球が飛ぶ様に
クリーンヒットな音が
頭蓋骨を通じ角まで響いたのです。
なんとドラゴンの象徴とも言える
大切な牙の左一本を 
自業自得で折ってしまったのです。
 このまま家に帰ったら
パパドラに きっとドヤされる...。
そう思ったチドゥーは
近くにあった白樺 の枝を折り
鋭い爪で器用に木歯を作り
折れた牙の補強に刺しました。
そして 家族に知られない様に
何喰わぬ顔で家へ入ってゆきました。
「ただいま〜ママドラ今日ネェ〜。」
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 その日からチドゥーは
御飯の滝にいっても
とにかくバレない様にと あまり
はしゃがず静かにしていました。
 時に立て札の示す言葉を無視し
餌食になった獲物を
友だちドラゴンが差し出しても
「今日はお腹の調子が変なんだ!」
なんて言い訳をしては
木の根や木の葉を食べていました。
 「オィ チドゥーうまいぜ〜
肉喰わねェと力が出ねェぞ!」と
ムッチャギが迫って来た時は
拒まず「それなら少しだけ...。」と
もじもじ場をつくろいながら
大きな口を開けずに食べられる様
サッと爪で肉を小さく刻み
パックと一口で食べて見せたのです。
 「まぁ〜可愛い食べ方ネ。」と
不思議な食べ方をするチドゥーに
ロシータが微笑みかけて来ました。
 *注釈*それまでの食べ方は
 立て札の言葉を守らなかった
 者に与えられる見せしめとして
 獲物は頭からシッポまで
 ガブガブと丸かじりしなければ
 ならないのが作法だったのです。
「ありがとうロシータ。 最近
天海で流行ってる食べ方らしいョ。
直接肉にむさぼりつくより
紳士的で奥ゆかしいだろう。」
「そう言われればそうネ...唖然と魅入っていたチドゥーでしたが
ついに運命の瞬間は訪れました。
 岩山の中腹にある まるで
怪獣が大口を開けた形相に似た
洞窟ステージの真ん中に進み
とぐろを巻いて座ったチドゥーは
ゆっくり鼻呼吸を六回連続で行い
深い瞑想状態で呼吸を整えます。
グリーンの眼球が次第に赤く光り
柳の様にしなやかだったヒゲが
指揮者の持つタクトに成り代わり
リンリンと廻り始めたのです。
それが陰と陽の渦を奇麗に描き
二重螺旋に離合した瞬間でした。
声になる前段階の「想いと念」が
ホワイトノイズとピンクノイズの
FM波となって 洞窟全体を
共振させ始めたのです。
 審査員と観客が固唾を飲み
ステージを見上げる視線に
チドゥーの胸の高鳴りも
いよいよピークに達し
腹の中で氣の充満した音玉が
光り輝くのが見てとれました。
 ゆ〜っくりと口を開き
龍曲を唸り吠えるチドゥー。
そのF分の一の美声は
低倍音と高倍音の二つの旋律が
宇宙的なハーモニーを奏で
癒しの健康讃歌となって
山全体に木霊しながら
観客全員の細胞に共鳴します。
 殆どの人は放心状態のまま
天を仰ぎ笑みを浮かべ
中には歓涙し隣の人と抱き合い
震えている人もいました。
 龍曲のうねりがエンディングに
差し掛かった時でした。
伝説の招き龍に現れると言う証
お腹のあたりのウロコが
神々しく金色に輝き
振動と共に身体から遊離して
観客の頭上に舞い上がったのです。
 会場はため息に包まれ
審査員全員が満場一致で
合格の札を上げたその時でした。
チドゥーの恐れていた「木歯」が
低周波の重複振動に絶え切れず
ついに大きく開けていた口から
飛び出してしまったのです。
これがまた運悪く
天井のミラーボールに当たり
合格札を上げていた審査員めがけ
落下したのですから大変。
「危な〜い!!!」。
寸前でかわした審査員が
怒りもあらわにチドゥーを指さし
「退場!退場!退場!」と
大声で叫び続けていました。
 
 壊れて割れたミラーボールと
チドゥーの金のウロコの破片が
散々と乱反射するだけで
もう会場には誰も残っていません。
 大勢の前での失態と騒動を悔い
チドゥーは完全にノックアウト。
その日以来 家にも帰らず
全てを捨てて御飯の滝壺の
底にある奥深い鍾乳洞へと
姿を隠してしまったのでした。
      (第2話につづく)。
 あっそうでした。もう一枚の
立て札には「全ての力を抜け」と
だけ書かれていましたとさ。

 *気が付くと書き始めていた
  得意の絵空ごと。ただの
  絵空ごとにならない様に
  エコロジカルでスピリ
  チャルな話題を盛り込み
  第四話まで展開して
  ゆくつもりです。
  どうぞお楽しみに...。
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2011年10月18日

沢山の悲しみ 多くの困難 でも"さよなら原発"の祈念日になったんだョ!

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           天波博文
誰も「3・11」のあの脅威を
本当に察知出来なかったのか?
一瞬の内に多くの人のいのちが
家も車も橋も川も町も瓦礫同然に
津波に飲み込まれたあの日を...。
 そして なぜ
生き残った家族までもが
姿なき悪魔に怯え
バラバラに引き裂かれなければ
ならなかったのか...?
 そして なぜ TVでは一斉に
「ポポポポ~ン♪」の
音楽が なり続けていたのか...?

 ボクは受け止め切れない現実と次々と迫り来る何故?に
精神的にも滅入っていましたが
これではいけないと
阪神大震災の被災時に学んだ
逆境の時だからこそ
皆が元気になる「祭り起し」を
自分に課すことにしたのです。
【四月 三日】神武天皇祭
【六月二六日】チャリティーライブ
【七月二三日】葦北 新そば祭り
【八月十四日】丸米ふれあい祭り
【八月二四日】四十年ぶりボクの
       デビューアルバム
      『のすたるじあ』の
      再発売パーティー。
【八月三一日】の野菜祈念日と...。
 祭りの忙しさに集中することで
ボクは「3・11」から受ける
悲しみや怒りモードを
事前にシールドしていたのです。
 しかも この間に
相次ぐ余震による土砂崩れや
集中豪雨による更なる水害。
そして 台風十二・十五号による
なぜこのタイミング?と聞きたい
関西・中部を直撃した
記録的な水害も起こりました。
祭りにでも没頭していなければ
きっとボクの心は 悲しみに
浸食されノイローゼーにでも
なっていたかも知れません。 
 
 あれから七ヶ月......。
本来の地震だけでしたら
誰もが自然災害とあきらめ
いつまでも悲しみの淵に
座っていなかったかも知れません。
しかし 原発事故が絡んだ
「3・11」での脅威と悲しみは
日々を追うごとに
次々と明かされる驚きの真実や
悲惨な現状にスパークし
姿なき悪魔たちに向けた
不信が徐々に怒りに変わり
今まさに渦を巻いています。
 そして 事態は更に深刻な
問題へと発展しつつある様です。
中国がチベットや台湾問題等に
情報統制を強力に引いている様に
日本政府も情報統制網のレベルを
引き上げ始めた様なのです。
 ネットを使われている人なら
感じていると思いますが...。
従来のTVを代表するメディアと
インターネットメディアでは
例えば震災時のニュース
一つを取っても断然ネットの方が
スピーディーで透明度の高い
小回りの利いた情報が
入手しやすかった筈です。
 因にボクは三月十二日から
熊本に居ながらにして
ネットラジオで被災地の近県
埼玉県のFMジェイウェーブ局に
二週間連続でアクセス
しっぱなしにしていました。
(無料だったからです。セコ!)
その環境設定があったからか
よりワープした臨場感に
現地の心情や慌てぶりが
切々と伝わって来ました。
 ところでその時 熊本のTVは
どうだったかと言いますと
それがニュース速報と言えど
ネットとは20~40分ぐらいの
情報の遅れがありました。
まぁその程度なら情報統制
ならぬ情報遅配でしょうけどネ!
(但しFMでもポポポポ~ン♪が
  隙あらばと流れて
   いましたョ?苦笑。)
その後の脱原発関連のニュースは
一般メディアでは殆ど報道されず
9・11に行われたデモでは
見せしめとも言える不法逮捕者が
12名も出たにも関わらず
報道は一切されませんでした。
 また19日の代々木公園周辺に
6万人が集まった時もそうです。
デモは事前に日時やコース等を
許可申請・受理されていたのです。
しかし前日に集合地点であり
出発地点の強制的な変更が当局に
よって突然命じられたのです。
これは明らかにデモへの参加者を
分散し困惑させるための戦略的
妨害行為に他なりません。
 このことも
ポポポポ~ン♪に仕える
大半の公共メディアでは
一切報道しませんでした。
 いずれにせよ利権者たちの
取り返しのつかない失敗を
地震津波でのパニックにかこつけ
国難と位置づけた以上は
今後非常事態を大義名分に
規制や増税と言った帳尻合わせを
ボクたちに強いて来るのでしょう。
(そんな意味では2012年が
 キー的変革期になるのかも...。)
 とにもかくにも
自由で平和な自然との共生社会を
実現してゆくために
次ぎのステージを担う子供たちに
ボク等のはっきりした意思行動を
伝えてゆく必要があると感じます。
 かく言うボクは
友氣農行発展への支援者として
脱原発に賛成ですし
増税については 完全に無駄を
排除してからの話で
その後改めて考えるとします。
 確かに復興には 莫大な
お金が必要なのは解ります。
だからそのお金の使い方を
どの様に改革してゆくかが
未来に照準を合わせた 
真の復興支援ではないでしょうか。
この様な時だからこそ
未来を信じ 人間を信じて
全面廃炉を宣言したドイツや
2034年を目標とし
脱原発を宣言したスイスの様に
日本政府もはっきりとした
未来へのビジョンを明確に
打ち出して欲しいものです。 
 突然話は飛びますが毎年恒例の
ムービング・ドラゴン・ツアーは
一月の満月の時点で
取り止めと決めていました。
このことは何も「3・11」の
予感があったからではありません。
今年始めのエコひいき(21号)に
例えとして 卯年の今年を
どう生きようかと書いた様に
ウサギはバックすることと
下り坂が苦手なので
ゆっくりブレーキをかけ
進む年と決めただけです。
 それに4月には愛妻様が
3年ぶりに高校を卒業する
次男の世話を終へ 京都から
戻って来るからだったのです。

 最後になりますが
地震の規模を示す
マグ二チュードの順で表すと
今回の東日本大震災(M9・0)は
死傷者数21万814人。
1960年のチリ地震(M9・5)
死傷者数2410人。
64年のアラスカ地震(M9・2)
死者131人。
2004年のインドネシア・
スマトラ沖地震(M9・1)
死傷者数227万898人。
に次いで観測史上
世界4番目の震度規模でした。
 ボクは1952年誕生ですから
直接地震の被害を被った訳では
ありませんが この4回の
記録的地震が起こった同じ時代を
生きているんだナと思うと
あらためて自らのいのちに
そして 家族や友人たち
地球上の全てのいのちの存在に
感謝 感謝 ありがとうです。
 記憶に残る大変な年でしたが
今年もあと僅かです。
お正月の準備はまだにしても
子供たちやお母さんへの
Xマスのプレゼントはそろそろ
考えておかないとですョ!
 そんな訳でエコひいきの
読者の人(ネット含む)に
藤本社長とボクが協力して
特別なプレゼントを
2つご用意させて頂きました。
どうぞサプライズにご活用下さい。

前回号でも紹介した丘蒸汽の
★CDアルバム『のすたるじあ』
 @¥2500(15曲入)
 MAHALOのウクレレ
 @¥8000相当を
 セットで10名様分。
★どれみ村有機野菜お試しセット
 @¥4200相当を
 3名様分。(配送を持って当選)

 来年はボクが年男の辰年
それに還暦の節目も重なります。
まさしくエコひいき的
第二の人生出発の2012年です。
音惚け老人の天波は
玄米と有機野菜を 
モリモリマルマル食べて
『いただきアース』です。
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