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2008年2月15日
コンタクト その1
私たちは
「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」
今回の「ヌースDEシネマ」は、宇宙科学者カール・セーガン原作ジョディ・フォスター主演のSF大作「コンタクト」を題材に、ヌース理論の独自な視点で「宇宙観」について語っていただきます。
【作品紹介】
地球外知的生命体と人類の接触を描いたカール・セーガンのベストセラーをロバート・ゼメキスが映画化した、当世流行りの空虚なSFX作品とはまったく方向性を異にした骨太なSFドラマ。
幼い頃から宇宙に興味を抱き続け、今では電波天文学者となったエリー(J・フォスター)は宇宙からの電波を基に地球外知的生命体の存在を研究している。だが上司のドラムリン(T・スケリット)が予算を削減し、エリーは大富豪ハデン(J・ハート)に協力を求める。
そんなある夜、未知の電波をキャッチしたエリーたち研究グループは、それがヴェガ星からのものだと突き止める。
その電波には地球上の映像と謎の設計図が納められており、事ここに至って研究は合衆国政府の手にゆだねられる事となった。ハデンの助力もあって謎の設計図はどうやらヴェガ星への輸送機関である事が判明。
急ピッチでその基地が建造されパイロットが選考される事になった。選考委員の中にはかつてエリーと一夜を共にした宗教学者パーマー(M・マコノヒー)の姿もあった。だが信仰心に浅いとの理由でエリーは降ろされ、パイロットにはドラムリンが選ばれたのだ。だがその記念すべき出発の日、科学を否定する狂信的テロリストによってヴェガへの発進基地は無残にも破壊されてしまう......。 (オールシネマ)より
藤本
今回のテーマは、「コンタクト」という映画を題材に「宇宙観」について、半田さんに独自の視点で語っていただきたいと思います。『宇宙とは何か?宇宙には他の知的生命体は存在するのか?人類の存在意義=人類はどこに向かって何をしようとしているのか?自分がなぜここに存在しているのか?』私たちが宇宙を考える時、まず無限に広がる夜空に光る星々のことを思い描く人が多いと思います。
でも、その先に思い描くイメージは、人それぞれによって大きく違ってきます。天文学者・宗教家・物理学者・生物学者・哲学者・詩人・政治家......。人それぞれに自分の立ち場で宇宙を思い描きますよね。そのそれぞれの宇宙観を統合するような定義の仕方があるのでしょうか?
半田
おそらく大多数の人は「宇宙」と聞くと、大陽系とか銀河系とかいったマクロ宇宙のことをイメージするよね。実際、宇宙探査や宇宙論というとそのほとんどがマクロ的な視野に立った物質的宇宙についての探索や理論のことを言うしね。
でも、この『コンタクト』が面白かったのは、人間の意識や心といった内在的な側面にも少し切り込んでいたところかな。
最後の諮問委員会の席上で主人公のエリーが涙ながらに訴えるよね―
「わたしたちは大いなるものの一部で、すべてがつながっている。」って。あの台詞のシーンはとても感動的だったよね。
藤本
エリーは天文学者の立場で、人類以外の知的生命体とコンタクトをとる仕事をしていましたが、大いなるもの(神)の存在については肯定も否定もしてませんでした。わからないという立場で、みんなからは無神論者と見られていました。宗教学者の恋人がいますが、その点については意見が平行線でしたね。
そして、宇宙に行き、自分が体験したことで、「わたしたちは大いなるものの一部で、すべてがつながっている。」という言葉が出てくるんだけど、実際に宇宙に行った宇宙飛行士が、この様な体験(大いなるものの存在を確信した)をして戻ってきてますよね。
この映画の面白いところは、外の世界(マクロ的宇宙=物質的宇宙)と内の世界(ミクロ的宇宙=精神的宇宙)を描こうとしているところですよね。
半田
原作者のカール・セーガンという人の独特な感性が表れているんだろうね。この人はエリーが映画の中でやっていた地球外知的生命体探索計画(SETI)を実際に推進していたバリバリの科学者だったんだよね。だから、物語のプロットにも政府の上部組織との軋轢や予算獲得の難しさ、先端研究への理解の無さなど、実際の研究者しか分らないような苦悩がよく表現されていて、人間ドラマとしてもとても重厚感があったね。
セーガン博士が面白いのはオカルト叩きで有名なあのサイコップの創設メンバーでもあることなんだ。宗教的な世界と科学的な世界の結びつきには大変関心を持っているのだけれど、本気でそれを求めているから、むしろ安易なオカルト的世界観は受け入れない。そうしたセーガン博士自身の信条がこの映画の主人公のエリーに完全に重ねられているように感じたね。
藤本
ヌース理論は、そういった様々な宇宙観の統合を目指しているんですよね?
セーガン博士も同じように考えていたんでしょうか?
半田
映画の中の神父の台詞にもあったように「科学と宗教は最終的には同じものを目指している」という意味で、セーガン博士も行き着く所は同じ場所だと考えていたと思う。でも、セーガン博士は科学者だから、科学的な知の枠組の中でしかそのイメージを追えていないような気がするな。
つまり、どうしても物質的な概念を超えることができていないってことなんだけど。
藤本
つまり、マクロ宇宙を物質的宇宙としてしか見れていないってことですね。人類が住んでいる地球があって、月や火星・水星・木星・金星など太陽を中心とした惑星があって、その外には銀河系があって・・・この映画で出てくるヴェガは、たしか28光年先の星ですよね。ヌース理論では、この太陽系や銀河系などを、どのように捉えているんですか?
半田
今まで何度も言ってきたと思うけど、すべて人間の意識の構造 の影のようなものだと捉えている。つまり、宇宙における天体現象というのは、僕らに全く無縁の遠い場所の出来事ではなくて、実は、この地上で起こっている僕らの日頃の意識活動の別の映し絵だってことだ。
藤本
そうですよね。そこがヌース理論の独自なところで面白いとこです。改めてお聞きしますが、太陽とは何ですか?月や他の惑星は?人間の意識活動とどう関わっているのかお聞かせください。
半田
いきなり来たね(笑)。とても短いスペースで説明できるような代物ではないんだけど、一言で言うと、太陽とは人間の自我の本質的な力のようなものだと考えてる。
つまり、自我を作り出すためのカガミだね。天皇が大嘗祭のときに鏡の儀式をやるでしょ。あのカガミってのは実は太陽のことなんだ。僕らは普通、自分というものが独立して存在しているように考えているけれど、この自分、つまり、自我は他者がいなければ成り立たない。奇妙な言い方に聞こえるかもしれないけれど、他者が「わたし」を作ってるんだ。この「わたし」は他者の眼差しがないと「わたし」として意識できない。
他者が見ているわたしを通して初めて「わたし」を意識できるということだね。これはカガミを通して自分の姿を知る、ということと似ているよね。その意味で、太陽というのは他者の眼差し=カガミと言える。月はそののことに気づいていないときの「わたし」、つまり、表に現れている自我、簡単にいうと肉体のことなんだ。
肉体にまつわる漢字ってほとんど月がくっついているでしょ。肺、肝、胃、肘、脳とかね。。。それは、肉体が月と関係していることを古代の人たちが知っていたからなんだろうと思ってる。
他の惑星は、カガミの世界に関係している。無意識が覚醒したもの、つまり、高次元的な意識のシステムかな。
藤本
半田さんもいきなり来ましたね(笑)。そうですよね。私たちは、外の世界を世界だと思っているけど、実は自分自身が存在しないと、世界は存在し得ない。
宇宙も他者も自然も何もかも存在し得ないですよね。しかも、他者がいないと自分が存在していることもわからない。太陽は、その自我を確認できるもので、月は肉体そのものなんですね。
身体にまつわる漢字に月が着いているのって面白いですね。太陽は燃えていて、地球や月や他の惑星を照らしています。それも何か意味があるのでしょうか?
半田
もちろんだよ。科学的に言えば太陽が燃えている原因は水素からヘリウムへの核融合とされているんだ。太陽から発せられるエネルギーのほとんどはこの核融合のエネルギーなんだよね。で、ヌースが提議している問題は水素やヘリウムって一体何だ?ってことなんだ。
ヌース的にこれらの元素の正体を追っていくと、これらは人間の内在意識と外在意識の構造の射影なんだ。つまり、太陽というのは、僕らの心の方向から、物質世界に向かう方向の力によって燃えているってことになる。
藤本
うーん??「人間の内在意識と外在意識」とは何ですか?
半田
心の世界と思っているものと、外の世界と思っているもののことだよ。
藤本
太陽は、私たちの心の世界から外の世界を照らし、私たちに外の世界を知らせる働きをしているってことですね。
半田
簡単に言うとそうだね。実際、太陽があるからそこに光が出現して世界が見えるだろ。反対に月は太陽の反射光だよね。それは外の世界から心の方向に向けられた光のさらなる成長の方向なんだ。そこに僕らの肉体が結晶化していると思えばいいんじゃないかな。
藤本
ついでに聞いちゃいますけど、火星・水星・木星・金星・土星は、漢字の通り自然界のことですよね。その自然界と私たちの意識との関わりについてお聞かせください。水とか火とか・・・・は、人間のどのような意識活動の映し絵なんですか?
半田
えっー、もうそっちに行っちゃっていいの?理由を話さないと霊界かぶれの変なオジサンみたいに思われちゃうかも(笑)。まっ、いいか、難しくなっちゃうから。
次は火と水だね。火と水は宇宙においてとても重要な根本的な二つの力の投影なんだよね。この二つの漢字をよく見てもらうと分ると思うけど、火というのは五角形の中心とその五つの角を結ぶカタチ、水というのは正六角形の中心とその六つの角を結ぶカタチから来ているんだ。
つまり、「5」の力=火、「6」の力=水だね。「5」は古代においても精神の無限力の象徴とされていた。ヌースでも「5」は精神そのものが持った力の投影だと考えるんだよね。一方の「6」はその反映として出てくるもの。火が燃え盛るばかりだ
と安定や落ち着きがないから、精神の力を制御しようという力が火の反映として生まれてくる。これが「6」の象徴である「水」だね。水は人間の意識の中で言葉や感情をすべて通過させている空間の射影だと考えている。
つまり、霊の通り道なんだ。
藤本
火星の働きは、精神の力そのもので、その力が過度に行かないように抑制する力が水星の働きなんですね。水星は、言葉や感情が通過させる空間で、その空間を通る時に、フィルターの役目(抑制の力)をしているってことなんですか?
それって、本能的行動を人間として知的に行動するようにバランスを取るってことですかね?だから、言葉と感情を全て通過させる空間だということですよね?
半田
まっ、そう簡単にまとめられるものじゃないんだけど、ここは藤本さんの閃きを尊重しようかな(笑)。確かに火星というのは占星術的にも生命の活力や生殖力と言う意味を持っているね。水星は英語ではマーキュリー(Mercury)だけど、これはもともと古代のヘルメス神と同一視されていた。ヘルメスは今ではファッションブランドにまで堕落してしまったけど(笑)、ほんとうは人間のコミュニケーションを司る働き、つまり言葉を運ぶ神さまでもあったんだよね。
その意味では、藤本さんの言うように、人間の本能的な情動をバランスよく沈めるために水星が働いていると言っていいかもしれないね。
投稿者 right : 2008年2月15日 15:52
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