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2007年5月 1日

誰も知らない

私たちは

「一体どこに向かって、一体何をしようとしているのか?」

「ヌースでシネマ」は今話題の映画をヌース理論の提唱者 半田広宣氏にヌース理論をベースに、独自の視点で解説していただきます。

第二回目は『誰も知らない』です。

誰も知らない

【作品紹介】 主演の柳楽優弥が史上最年少の14歳という若さで、2004年度カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いた話題作。『ディスタンス』の是枝裕和監督が実際に起きた、母親が父親の違う子供4人を置き去りにするという衝撃的な事件を元に構想から15年、満を持して映像となった。女優初挑戦の、YOU扮する奔放な母親と子役達の自然な演技も秀逸。母の失踪後一人で弟妹達の面倒をみる長男の姿は、家族や社会のあり方を問いかける。

【ストーリー紹介】
トラックからアパートに荷物が運び込まれてゆく。引っ越してきたのは母けい子と明、京子、茂、ゆきの4人の子供たち。だが、大家には父親が海外赴任中のため母と長男だけの2人暮らしだと嘘をついている。 母子家庭で4人も子供がいると知られれば、またこの家も追い出されかねないからだ。その夜の食卓で母は子供たちに「大きな声で騒がない」「ベランダや外に出ない」という新しい家でのルールを言い聞かせた。子供たちの父親はみな別々で、学校に通ったこともない。それでも母がデパートで働き、12歳の明が母親代わりに家事をすることで、家族5人は彼らなりに幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、母は明に「今、好きな人がいるの」と告げる。今度こそ結婚することになれば、もっと大きな家にみんな一緒に住んで、学校にも行けるようになるから、と。
ある晩遅くに酔って帰ってきた母は、突然それぞれの父親の話を始める。楽しそうな母親の様子に、寝ているところを起こされた子供たちも自然と顔がほころんでゆく。だが翌朝になると母の姿は消えていて、代わりに20万円の現金と「お母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくね」と明に宛てたメモが残されていた。この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちだけの"漂流生活"が始まった―――。「誰も知らないHPより」

藤本
今回の映画は、『誰も知らない』です。現代の親子の問題や人間の問題が良く描かれた作品ですよね。

半田
主演の柳楽優弥くんがカンヌ映画祭で主演男優賞を獲ったことで有名になった映画だよね。作品の質もとても高く、映画自体よくできていたと思うよ。

藤本
この作品は実際に起こった事件をもとに作られました。最近のニュースでは『育児放棄・幼児虐待・幼児殺人・育児ノイローゼ...などなど、あまりにも目につきます。現代は昔と較べ、モノが溢れ、住む家も食べ物もあるのに・・・何で??我が子を育てられない時代となっていますよね。今回は、『親と子の関係』をテーマに、半田さんにお話をお伺いしたいと思います。唐突ですが、そもそも我々はなぜ赤ちゃんを産み、そして育てようとするのでしょうか?

半田
月並みな言い方だけど、子供というのは希望の象徴だよね。人は子供を通して人間の未来を見つめ、そこにかけがえのない何かを感じ取っている。最近「トゥモローワールド」という映画も見たんだけど、これは子供が生まれなくなった未来世界の話なんだよね。そこでは人々は夢や希望を失っていて、社会は暗澹としている。次の世代がやってこないということが、まるで、自分の生の断絶のように感じて生きている。

藤本
確かに、赤ちゃんは希望の象徴ですよね。赤ちゃんを見つめていると明るい未来を想像します。何時までも見ていて飽きないです。現代の「少子化問題や親子の問題」は、未来への希望や生命への断絶の表れとしたら、この先の未来は、暗いじゃないですか?私も親として、子供たちに希望や明るい未来を築いていって欲しいと思います。一体どうなってしまったのでしょうか?

半田
心理学が明らかにしてきたように、僕らの意識構造というのは個的なものと社会的なもので成り立っているよね。これは簡単に言えば、ホンネとタテマエというやつだ。社会的にいくら立派な地位がある人でも、親子関係や夫婦関係ではまるでわがままな子供だったりする。人格者というのはこの両方のバランスが取れている人のことだ。この二本の人格形成の柱は家庭内の父性と母性によって基礎が作られるものなんだよね。今の社会はその意味で父性的なものも母性的なものも壊滅状態にあるってことだろうね。

藤本
『誰も知らない』では、父親が不在でしたね。父は、自分の子どもという認識が気薄ですからね。自分で生むことができないですしね。子供と一緒に生活を重ねていくうちに、段々と我が子だという意識が強くなっていくように思います。父性と母性のことをもう少しお話しいただけますか?

半田
赤ちゃんが経験する最初の環境というのは、何と言っても母親の心なわけだ。母親の胸に抱かれて、おっぱいを飲み、そのぬくぬくとした空間の中で赤ちゃんは充足感を覚え、母親にすべてを委ねてる。赤ちゃんにとっては母親はまさに人間にとっての大地のような存在なんだね。ここで母親と赤ちゃんは言葉以前の超自然的なコミュニケーションを行なっている。皮膚感覚や眼差しを通したテレパスのようなものとでもいうかな、人間の持つ最も深いつながりの力が働いているんだ。

藤本
いわゆる母と子の一体的な愛情のようなものですね。

半田
うん。情緒的なものの母胎はこうした母子関係が作るテレパス空間の中で築かれるんだよね。ここが杜撰だと、子供の情緒の基盤はとても脆くなってしまう。この期間がだいたい6~7才までって言われている。個的な意識の原型基盤が固まってくる時期だね。そこから、社会的意識の基盤形成に入ってくる。つまり、言葉の世界が介入してくるんだ。子供は言葉を通じて社会的動物、つまり、人間に育てられていくわけだね。この役割を象徴しているのが父親なんだ。父親は家庭の中で、子供を社会に出てもちゃんと生きて行けるように躾ける。これがだいたい7~14才ぐらいまで。このあと、性的な意識が芽生え始め、個的な基盤と社会的な意識基盤とのバランスを取りながら、自我というものを確立させていく。これが15~21才ぐらいまでだね。

藤本
もう一度、父性と母性を復活させることが必要ですかね?しかし、昔と今では状況がかなり違っています。結婚をしない人・結婚しても子供を持ちたくない人・生みたくても産めない人・生んでも育てない人・・・・。

半田
そうなんだよね。昔は結婚をして子供を生み、母親が家庭を守り、父親が社会に出て糧を稼ぐという関係が当たり前だった。でも、今は母親=家庭、父親=仕事という構図は必ずしも成り立たない。こうした中、新しい家族の在り方というのが模索されているわけだけど、資本主義や個人主義が進めば進むほど、旧来の家族イメージは崩壊していかざるを得ないという現実がある。こうなると、反動として、昔ながらの父権とそれに従属するような母権を復活させようという言論も出てくるわけだけど、個人的には、それは退行だと思うな。

藤本
そうなると新しい家族のあり方を創造していかなきゃいけませんよね。半田さんは、この新しい家族のあり方をどのように考えていますか?

半田
とにかく今からの時代はどんな家族のスタイルも肯定していくことが必要だと思うんだよね。シングルペアレントを始め、子連れ婚の大家族、代理母出産による子供、養子、ひょっとしたらクローンベイビーなんてのも条件つきで認められるようになってくるかもしれない。いや、もっと言ってしまえば、子供を持たないのを当たり前とする夫婦や同棲カップル、または同性愛カップルなど、家族のスタイルはどんどん多様化していくと思うんだ。こうなると少子化は必至なんだけど、それも変化であるということを肯定的に認めないとね。こうなると、昔みたいに血のつながりで家族意識を持つということが、あまり意味を持たなくなってくる。血のつながりよりも、もっと普遍的なつながりの中で個体同士は結合していくべきだと思う。

藤本
それぞれの生き方が多様化をしていく中で、それを肯定的に考え、今までにない新しい価値観を創造していくこと。そして、その価値観を元に新しい制度を考えていくことですよね?

半田
「シリウス革命」という本の中でも書いたんだけど、人間は愛情の在り方を勘違いしているじゃなかろうか。家族愛というのは言ってみれば自己愛の延長の部分もある。まず自分が一番可愛くて、次に自分の家族がかわいい。そして、身近な友人たち、郷土愛、国家愛、人類愛というように、大きくなればなるほど愛のグラデーションは薄まっていく。それじゃほんとはダメなんだよね。本当は、ひとりひとりがまず世界全体とつながらなくちゃいけない。そこで、自分を生み出してくれた地球という惑星や宇宙全体に愛情と感謝を感じる必要がある。そこから逆に、人類愛や国土愛、郷土愛、云々というように、家族まで愛情の連結を降ろしてくるという視点が必要なんだと思う。家族を愛せないやつがどうして地球を愛せる?ではなくて、世界を愛せない奴がどうして家族を愛せる?そういう視点が必要なんだよ。そして、その視点からもう一度、制度や価値を考え直す必要があると思うな。

藤本
今日は、ありがとうございました。

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